竹下弥平憲法草案
竹下弥平憲法草案
うやうやしく聞く。
我、帝国先世聖哲なる天皇の敕にいわく「天、君主を設けるは、もって国民のためにするのみ、君のために人民を置くにあらず」と。
支那の先哲またいわく「天下は天下の天下にして、一人の天下にあらず」と。
欧州の古語にまたいわく「吾国は愛すべし、吾人自由の理は吾国よりも愛すべし「パトリア、 カーラ、カーリヲル、リベルタス」あるいは訳して(吾身奪われる、吾国奪われず、吾国奪われる、自由の理奪われずなり)という。
吾、幼時この数語を聞きひそかに怪しみおもえらく。これらの理は則理・矣理しかれども、理必ずしも行わるべからず。
吾国いやしくも不世出の英雄起こるにあらざるよりは、いずくんぞよく二千五百年来の宿習を勇載浄濯して、この数語、いわゆる真理を実行に著見するを得んやと。
すでにして戊辰の覆すに会し。逆乱奮習の 陋説、義兵錦旗の下に一掃してつき、海内一変、群藩翻然方向をあらため縣治に帰す。
この時にあたりて、いわゆる万機公論に決するうんぬん等の聖誓は、すなわち、恐れ多くもはらうに所術、天地にわたり 万世を究め不可易真理に根拠して発するところのものにて、しかして直にこの真理を実行に施すを見る。
吾輩幼時の疑怪、にわかに氷釈するを覚える。
これにおいて刮目企踵、このところのいう真理、ますます発達暢進、欧米文明の諸国とならび馳せ、共峙に至らんことを望む。
者ここ二七年、あにはからんや一昨、癸酉五月(井上大蔵大臣大等退職前後をいう)以来、政機失調するあるが如く、かつて泰山より重く鉄城よりも堅しと吾人が平素憑信したる維新の基礎たる 聖誓(パトリア、カーラー、カーリヲル、リベルタス)の大旨はすこぶる湮晦するものあるが如きに至らんとは、子また怪しみおもえらく、真理はたして行わるべからざるかと。
既にして、民会議起こる。
その得失、利害、尚早、既につまびらかにする諸賢の説あり。また贅するをまたず。
吾いう聖誓を将に湮晦せんとするの日に、維持挽回するもの民会を捨ててまた、他に求むべからず。
真理を将に否塞せんとするの際に、開閉暢達するものまた民会を捨てて他に求むべからず。
しかして吾もっとも切望するところの条々は左の如し。
第一条
己巳平定以来ここ二七年、けだし国歩また一歩を進め君子豹変すべきはこの時をしかりとす。
ゆえに吾帝国よろしく、ますますその廟謨を広遠にめぐらして我帝国の福祉を暢達すべき憲法典則を欽定すべし。
第二条
右憲法を定むるはすなわち聖誓を拡充するゆえんなれば、立法の権を議院(現今の左右院を改め新たに立てるところの左右両院の議院をいう)に、ことどとく皆委任すべし。
第三条
左院の議員定額百員とし、定員の三分の一は今各省奏任官四等以下七等に至り、判任官八等より十等までの内その主務に練達・暗熟して、且つ才識ある者、毎省若干員を人選(省の長官これを選挙し定むべし)して出ずところの議員とす。
他の三分の一は現今衆庶著名に知るところの功労ある人望家、旧参議諸侯の如き在野の俊傑および博識卓見なる福澤、福地、箕作、中村等、新聞家成島、栗本等の如き諸先生を選挙(最初は太政官より命令してこれを挙げるべし。
議院おのれに立って後は別に選法を立つべし)充るところの議員とす。
他の三分の一は府県知事令参事に命じて、その管下秀俊・老練民事を通暁し、地方の利弊を諳悉する者を選挙せしむ(これも最初は太政官より地方官に示暗諭して濫選なきよう注意。その人を挙しめばその人を獲るに難しからず。
その小節目は各地方官適宜に任ずるも妨げなし。
議院おのれに一たび立の後は別に詳細選挙法を設けるを要す別に論述すべし)もって各府県の令参事と共に代議員となりて出るものとす(他日議員の選法整備するに至るまでは、令参事を併せて地方技士に列せざるを得ず)。
第四条
右院の議員は現在行政官勅任以上、および皇族・華族中より選挙(これも前第三条の選例に同じ)せらるべし。その定額百員を限る。
第五条
太政大臣(すなわち行政の首官たる重任)および左右大臣は左右両院の選挙をもって定むべし。
第六条
左右院を開閉するは天皇陛下の特権に在り。
第七条
帝国の歳入出を定むる特権は左右両院に在り。
第八条
およそ帝国の憲法典則を欽定する、もしくは更正増減するは一切左右両院の特権に在るをもってたとい行政官・司法官および武官何様の時宜あるとも、決して立法上の権をすこしも干犯するを得ざらしむるは、立国の本旨もっとも重するところとす。
大略、右に述べる旨趣をもってその手段を立て、その方便をなし、左右議院(民選といえども官選といえども名目 如何に拘わらず、唯その実功を要するのみ)を速やかに設立せられん。
今日政府の急務これを捨てて何ぞや、けだし欧米の民、沈毅果断有余、しかして忠厚温良不足、そのついえるや君主を威逼し政府を倒制するもの 往々あり。
これ彼の「ヒューミレイシュンオフ、ショーウレーン」あるゆえんなり。
我帝国の民淳撲忠愛有余、しかして英鋭勇断不足、そのついえるや躬自卑屈奴隷の習気脳髄に印して、精神恍惚復醒覚えなきが如きに至る。
彼の印度の奴となりしもまた、職としてこれこれによる。
今にして早くこれを挽回せざれば、印度の覆轍を踏まざるもの幾希なり。
夫外国人と婚娶を許すが如き、出版を自由にするが如き、学校を盛んにするが如き、兵力を張るが如き、拷掠の苛酷を除き審判の傍聴をほしいままにするが如き、汽車山川を縮め電線宇宙を縛するが如き、皆開花の衆肢体にあらざるはなし。
しかれどもいたずらにその肢体を獲て、しかしていまだその精神を具せずんば、偶人塑像に均しきのみ。
試みに見よ。三千五百万兄弟中、よく毅然自立(たとい吾国は奪われ共に吾自由の理は奪われずなり)の志気見解を存するものはたして幾人ぞ。
吾輩ゆえにいわく、聖誓の大旨湮晦これに至る。まことに 怪しく且つ痛哭に不勝なり。
これを救済するの道他なし。
唯左右議院(前文条述するところのものをいう)を建て、もって大いに自主自由の理を拡充暢達するに在るのみ。
明治八年二月一日謹述
鹿児島県下大隅国噌唹郡 襲山郷住居愛国愚夫
竹下弥平
「朝野新聞」明治8年3月4日号
参考
【PDF】「竹下弥平の出自と明治私擬憲法草案への明六社の思想的影響について」
【PDF】【現代語訳&講釈】竹下弥平憲法草案